8、真実?

「幸一郎君。どう? 気分は」
 そんなことを言っているお医者さんの言葉を遮って、あたしは幸ちゃんの顔を覗き込んだ。
「幸ちゃん!!」
 立っていられなくて、ベッドにダイブするかのように倒れ込むと幸ちゃんは目を丸くする。そして体を起こしかけ、あたしの手を握って言った。
「恵実・・・だ、大丈夫だったのか」
「幸ちゃん・・・う・・・うん。こ、幸ちゃんも・・・」
 その声を聞いて。
 手から温もりが伝わって。
 あたしはやっと心の底から安心した。暖かくて固くて、生きている証に柔らかな幸ちゃんの手を、両手で握る。
「幸ちゃんも、無事、で・・・よ、よか・・・っ」
 うわぁあーんっ。
 あたしはその手を握って、泣いた。ひたすら泣いた。あの僅かな時の中。どんなに不安だったか、きっと誰にも分からない。あたしが幸ちゃんを失ったら、どれだけ悲しいか誰にも分からない。
 幸ちゃん。幸ちゃん。と、腕に縋るように幸ちゃんにしがみつくと、幸ちゃんはそれを受け止めて戸惑ったように呟いた。
「あ、ありがとう。恵実。お前が庇ってくれたから・・・」
「・・・え?」
 その言葉に、驚いて顔を上げた。庇った? 何を言ってるの? 幸ちゃん。
 涙で潤んだ瞳をめいっぱいに開くと、揺れた涙が見えた気がした。その向こうの幸ちゃんに、言いかけた言葉を飲み込み、心の中で呟く。
 庇ってくれたのは、幸ちゃんでしょ?
 そう思っていたあたしの中に表れた、二枚のカードのような記憶。確かに二つ、同じ様で違う記憶がある。同じ時の、違う記憶。
 ある。けれどそれのどちらを上に載せるか。真実として捉えるか。まるで映像の鮮明度が違うかのように当たり前に、または自動的に、あたしの中では真実を選択し終わっている。混乱していたとしても、分からなくなったとしても、あたしはそれを選ぶだろう。そんな記憶。
 だってもう一つは、あまりに現実離れした話。あり得ない、話。
 あれは、夢でしょ? きっと事故の後、今目が覚めるまで見ていた夢。・・・だから共有している筈がない、のに・・・。
 それを後押ししてくれた、先生の声。
「幸一郎君? 僕は運転手から、君が彼女を庇って車にぶつかったと聞いているんだが?」
「・・・え?」
 先生を見上げ、幸ちゃんは困惑したようにあたしを見る。そして「そうだっけ?」と呟いて、首を傾げた。
「・・・なぁ? 恵実。お前と俺、一緒の傘の中にいたよな?」
「・・・え?」
「お前、荷物が多いから俺に傘持てって言って、駅で腕にしがみついてきたよな?」
「・・・!?」
 余りにも重なりすぎている夢という名の記憶に、あたしは何が現実か分からなくなって、先生を見上げた。その助けを乞う視線に気付いたか、しかし先生も不思議そうな表情をして、再び代わりに答えてくれる。
「・・・幸一郎君。運転手は君たちは別々の傘を使っていて、道の両側にいたと言っていたけれど?」
「・・・え?」
 幸ちゃんはそう言って、あたしを見る。そして再び「そう、だっけ・・・?」と、呟いた。その顔にも確かな混乱が浮かんでいる。その彼とあたしに、真実というなの答が振ってくる。
「そして、向かって右側に滑った車から彼女を庇うために左側から君が現れたと。・・・多分、運転手の言っていることが正しいよ。彼女は左側の田圃の方に落ち、君は道路の上に倒れていたらしいから」
「・・・そう・・・ですか」
 幸ちゃんは腑に落ちないと言う顔をしていたが、「そう言われると・・・そう、だったかもしれないなぁ」とも呟く。
 ・・・幸ちゃん。
 その横顔に、小さな声で呟いた。不思議だね。不思議だけれど、どうしてか分からないけれど。
 それでももしも、もしかしたらあたしが幸ちゃんを助けられたのなら。その僅かな力に慣れたのなら、良かった・・・。
「幸ちゃん。あたし、同じ夢見たよ・・・」
 幸ちゃんのこと、守りたくて。どこにも行って欲しくなくて。だから、きっと。
「・・・夢?」
「幸ちゃん。良かった・・・」
 そう言って、あたしは片足を付くと、幸ちゃんの首に抱きついた。
 きっと。
 きっと、あたしは多分、夢を見たのだろう。幸ちゃんも、偶然同じ夢を見たのだろう。
 幸ちゃんにとっては、ただそれだけだったのだろう。でも、あたしにとっては違う。大切すぎて、大切すぎて。どうしても、手放したくなくて。だから。
 夢の中だけでも守りたかったから、見たのだろう。何でも構わない。だって、ほら。ここに残ってる。ただ、幸ちゃんが居てくれれば何も要らないから・・・。
「良かったぁ・・・っ」
「・・・」
 その、しがみつくあたしをやがて抱きしめ返し、幸ちゃんはあたしの耳元で誰にも聞こえない声で呟く。
「・・・恵実」
 ありがとう。と。
 その言葉に首を振ったあたしを抱く手を強め、耳元で幸ちゃんは囁く。きっと神様が、チャンスをくれたんだ。
 だから、ありがとう。
 俺を守ってくれて、ありがとう。と囁くその声は、この上ない生きている証。

 神様。ありがとう。幸ちゃんを連れていかないでくれて、ありがとう。 
 幸ちゃん。
幸ちゃん、ありがとう。
 強さも弱さも、全てを教えてくれてありがとう。
 今度は必死に頷きながら、あたしはいつまでも幸ちゃんにしがみついていた。




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