6、現実?

 あたしたちの住んでいる町は、まだ田圃とか畑の方が民家のスペースよりもずっと多くて。
 だから街灯も少なくて、夜はとても暗い。
 駅の前から続く道は、お世辞にも広いとは言えない土の道だ。両側に広がるのは田圃と畑。道だけが、ほんの僅かに高い位置にある。
 緩やかなカーブを描く道。そこに、升目のように繋がる田圃道。もしも初めてここを歩く人なら、怖くて前に進めないだろう。音も光も人の気配も、何も無いことが慣れてない人達には。
 あたしも、どうしてだろう。歩き慣れたはずのこの暗闇が、今は怖くて仕方がない。

 前から、車が来た。そのライトは雨粒を照らして、闇の中に一本の線を作っていた。両側の田圃と畑が映る度、それが近付いてくるのを実感する。そして道を照らす度、歩いていく道が所々見える・・・。

 ・・・ざわっ。再び幸ちゃんの隣で、あたしの心は乱れた。どうして彼の隣で、こんなに心が乱れるのだろう。こんな、どうでも良い視界に胸が騒ぐのだろう。理解出来ない。それなのに止まらない。まるで病のような、不安への反応。不思議にすら思う、この存在感。
 ・・・目を逸らしちゃ駄目、だ。この明らかなざわめきは、怖いけれど避けて通れる物じゃないこと、知ってる。それ程までに、この不安は確かすぎる。目を閉じても、見えなくならないほどに体ごと反応している。
 逃げれない。向き合わなきゃいけない。そして、どうにかしなきゃいけない。だって、幸ちゃんが。そう、彼の・・・ううん。あたし・・・あたしの・・・。
 ・・・待って。
 待って。この、光景。
 ただ何となく通り過ぎていった何かに、通り過ぎてから気付いたかのような感覚で、あたしは思考を止める。そして、巻き戻すように過去を捜し始めた。どこかにある筈の、解決に繋がる映像を。
 どこかで、見た。
 ・・・何処? 捜して。不意に、強い意志で、あたしは自分にそう言い聞かせる。気付かずに繰り返し見ている映画のような違和感を感じる。今なら、ハッキリと。
 そして、この時になって、あたしの中にハッキリとした痛みのような不安が根付いた。見ていて当たり前だ。毎日のようにこの道を通っているんだから。・・・なんて、自分の中の軽い気持ちで発す言葉は、理解することすらなく消え失せる。
 見た。この、光景。そしてこの場所が、不安の源。この場所で、何かが起こる。それは確信にすら、なる。けれど、それを支える裏付けは何も無い。どうして不安に直結するのか。何処で見たのか。いつ見たのか。何も、かも。
 分からない。分からない。何も分からない。あるのは不安だけで、その原因も正体も、何も分からない。分からない。分からないのに・・・。
 分かってる。毎日のように繰り返す帰り道の上。幾らでも、その記憶は重なるだろうということくらい。でも・・・。
 違う違う。そういうことじゃない。と、あたしは強く否定した。肩が強張る。刻一刻と近付くその時。この場所で、何かが起こる。それがきっと、既に不安という形になってあたしを攻めているものの正体。明らかじゃないのに、大きくなる不安がそれを確信にすら近付けていく・・・。

 隣で幸ちゃんが、そのライトを認めて足を止めた。そして、あたしの足も止まった。

 あたしは我に返り、その横顔を見上げてから。
「それ」を、ハッキリと理解した。

 ・・・これは、何?
 そう問いかけたのは、一瞬光るように見えた、その車が滑って来る光景故。現実的に肩が強張り、それがあたしの目を覚まし、この瞬間に起きていることではないと理解する。
 しかしそれが不安の正体だと知った理由は、あたしの体中に鳥肌が立ったから。想像じゃない。仮定でもない。それは実感として、あたしを強く抱きしめたから。過去のような、未来の予感は。
 打ち抜くようにチカリとあたしに予言を与えた、それは。
 どこかに見えない大きな傷をあたしに負わせてから、一瞬で闇に溶けた。

 何これ・・・。
 心臓が、かつて無く大きくあたしを叩く。まるで壊れてしまったかのように、小刻みに、響く。
 あたしは癖で、幸ちゃんの左側に、いた。
 そして幸ちゃんは、あたしを来るかもしれない車から庇うかのように左側を。
 あたしの隣を、歩いていて。
 だからあたし達は「道の左側」にいて。
 左側。この光景は、まずい。


 まずい。あの光景は「ここ」だ。全てが当てはまる。
 あの車は「ここ」に滑ってくる。

 さっき何かがあたしに負わせた傷は、大人しくしていなかった。あたしに痛みを与えるように暴れ、その原因を響かせる。あたしに知らせてくれている。痛覚じゃない。触覚でもない。敢えて言葉で表現するとするなら「心」を叩いて。そこに籠もっているあたしに呼びかけるように、まるでドアを叩いているかのように「早く気付いて。気付いて!」と声を上げている。
 あくまでも、それを好意的に、受け取るとするならば。ただ恐怖を与える物に、結果成らなければ。

 まだ、始まっていない。
そして、終わってもいなかった。現実は、何も無さ過ぎて、そのギャップに眩暈を覚えるほど。けれど。
 一瞬「早く」。
 幸ちゃんの声が聞こえた。

 あたしの名前を叫ぶ、掠れた幸ちゃんの声。
 タイヤの鳴る音。迫ってくる車のボディ。
 そして突き飛ばされる衝撃と、視界は回り。
 大きな音。
 ・・・暗転。

 
「・・・幸、ちゃん」
 これは夢。
 今のは何? それを理解しようともせずに、あたしは自分にそう言い聞かせた。夢、夢・・・。夢だ。自分に必死で、言い聞かせる。
 それがその通りになるように、願うように繰り返す。夢だ。夢だ、と。
 そうしなきゃ、気が狂いそうだった。逃げだと知っていても。
 いや。それが起こることだと確信してはいないのに、そうしなきゃ潰れそうだった。怖くて。怖くて怖くて。竦む足は立っているのが、やっと。曲げてしまったら、もう二度とのばせないだろうと思うくらいに力を失っている。
 あれは、夢・・・。
 潰れそうだった。あたしは確信のないそれに、潰されそうだった。それ程に、重い幻。「今」は、幻。
 ゆっくりと、あたし達に迫ってくるライト。土を削るタイヤの音。
 迫ってきてる。「何か」が起こるかもしれない・・・起こらないかもしれない・・・けれど、起きるかもしれない、瞬間が。
 夢。と、期待と希望を呟く。小さな二文字。無力な二文字。けれど大きな望み。
 そして、それを振り払う。ううん。嘘だ。「あの音」が、あたしは何か、知っている。理解する前に、全てが勝手に組み上がっていく。まだ言葉にする程に確実ではない、悪夢のような出来事が。
 起こる。起こるのだ。望んだって何も変わらない。夢だと自分に言い聞かせたって駄目。混乱にも似た自分の言葉は、狂い始めた心臓の鼓動のように理解出来ないのに、響く。
 目を覚ませ。そして「見たもの」を受け止めろと自分に言い聞かせる。回避しなきゃ。回避したい。回避・・・出来る・・・のに。
 ああ。でも、時間がない。足が動かない。竦んで、蹌踉めきそうで。そうしたら何も出来なくなりそうで。そうしたら、そうしたら・・・っ。
 躊躇った、この足は動かない。どこかで。どこかで。どこかで、あたしは、信じられずにいる。言い訳して自分を誤魔化したい気持ちだってある。だってこんなこと・・・!
 駄目。しっかりして。嘘付いちゃ駄目。誤魔化しても駄目。見なかった、では済まない。後悔する頃には、全てが間に合わない。ほら。あの車が滑ってきて。こっち側に、滑ってきて・・・せっかくあたしは「それ」を見たのに・・・!
 夢。しかし儚ければ儚いほど、尊いそれは影を完全には潜めず。現実味のない意識にも、やっぱり確信が持てなくて。だって、信じたくないから。怖くて足が動かないから。何事もなく過ぎ去っていくことを望んでいるから・・・!
 でも、すがりつきたくなる自分を振りきって、向かい風をあたしは進む。だって、聞いたでしょ? あれは幸ちゃんが、あたしを庇って。
 夢。悪夢だ。そうに決まってる。
 夢? 違う。駄目。それで済めば、どんなに良かっただろう・・・!
 けれど音が、あたしを眠らせない。何も見えないまま響いた音が。だって、あれは彼が。幸ちゃんが・・・。
 車に、ぶつかった音。

 車が、迫ってくる。どんどん迫ってくる。
 コマ送りのように見えたそれは、そう意識した瞬間に、早送りのように速度を増した・・・ように見えた。
 嘘だ、そんなの。
 夢だ。あんなの。
 ほら何も起こらない。何の変化もない。何の変哲もない、車の進行。嘘だ。夢だ。夢・・・っ。
 あたしの心臓の音は、まるで体を叩かれて居るかのような音を脳に伝え、それは「あの音」と重なった。それは。
 再び響いたあの、重く心を突き刺すようなそれは。
 彼が、いなくなる音。
 ゆ・・・っ嘘!!!
 目が覚めた。もう限界。自分に嘘を付いても、言い聞かせても、希望を抱いても、駄目なものは駄目だと腹を括った。
 だってもう、一瞬の猶予もなかった。決断の瞬間に、あたしは全てを振り切った。そして、やっとすべきことを理解する。上半身に力を入れて、全てを一瞬に賭けた。あたしは蹌踉けて倒れても構わない。たった一人、僅かに押し出すことが出来れば。
 嫌だ! 幸ちゃん・・・逝かないで!!!

「危・・・なぃっ!」
 あたしは夢中で、彼を押した。右側へ。

 車のタイヤが滑り、ハンドルを切り損ねてあたしの方に横滑りをしてきたのは、ほんの一瞬後だった。
 

 ・・・暗転。




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